特定非営利活動法人

SADAKO LEGACY

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Peace

世界に伝わる禎子ストーリーと
平和のシンボル「折り鶴」が未来を紡ぐ。

折り鶴

長い間、日本人にとって戦争は「歴史」ではなく「記憶」でした。 戦争体験者がいなくなりつつある昨今、若い世代にとって「記憶」は「歴史」になろうとしています。

とは言え、戦争•内紛がこの世から消え去った訳ではありません。 今こそ戦争の記憶を風化させない為に、戦争の悲惨さや、人命の尊さ、 そして平和とは何か?平和を築くとは一体、どういうことなのか? それらを強く世界へ問いかけ、訴える必要があるのではないでしょうか?

原爆投下から10年後、12歳の若さで白血病で亡くなった佐々木禎子の人生を語り継ぎ、 戦争を知らない若者たちに、戦争、核、平和について問いかけるべく、 佐々木禎子の遺族が立ち上がりました。

『佐々木禎子』

佐々木禎子

1943(昭和18)年1月7日生まれ。2歳の時に広島に投下された原爆により被爆、 その後しばらくは元気に成長を遂げるも、被爆から10年後の12歳の時に突然白血病を発病。

その闘病生活中に、千羽鶴がお見舞いに贈られたことをきっかけに、 「鶴を千羽折れば願いが叶う」という言い伝えを知り、 「生きたい」という願いを込めて折り鶴を折り続けました。

結局8カ月の闘病生活の末、約1600羽の折り鶴を折りましたが願いは届かず、 家族が見守る中12年という短い生涯を終えました。

『原爆の子の像』

原爆の子の像

禎子の死を悲しんだ同級生たちが「禎子さんを始め、原爆で死んだ子の霊を慰める石碑を創ろう」と、その設置に関する募金活動が始まった。

1955年11月12日に全日本中学校長会場で、『禎子の同級生8人によるビラ配り』が行われ、 全国の中学校からも寄付金が寄せられるようになる。 やがて広島市内の小・中・高校へも活動の参加を呼びかけ、『広島平和をきづく児童・生徒の会』が組織された。

翌年(1956年)には、街中での募金活動が繰り返し行われ、年末までになんと540万円もの寄付金を集めた。 後に募金活動のメディアを通じて波紋が広がり、全国から3000校以上の学校が参加をするに至り、 海外からも寄付が寄せられ、1958年5月5日に設立された。

こういった経緯から、禎子の名は『原爆の子の像』を通じて国内のみならず海外にも広く知られるようになる。

『禎子の親族』

佐々木 雅弘

禎子の2歳上の兄 佐々木 雅弘

特定非営利活動法人 SADAKO LEGACY 理事長である雅弘は、4歳の時に禎子と同じ自宅にて被爆。

原爆の惨劇を知る最後の世代として、各地で講演を行っている。

「禎子の千羽鶴」の著者。

佐々木 住幸

雅弘の長男 佐々木 住幸

特定非営利活動法人 SADAKO LEGACY 事務局長。

禎子の甥として雅弘の講演サポート。

佐々木 祐滋

雅弘の二男 佐々木 祐滋

特定非営利活動法人 SADAKO LEGACY 副理事長。

ミュージシャンで楽曲「INORI」の作者。

歌を通じて禎子を語る講演などを行っている。

『憎しみの連鎖を断ち切る』

The Paper Crane Foundation The Paper Crane Foundation

原爆投下命令を下した、ハリー•S•トルーマン元米国大統領の孫、クリフトン•トルーマン•ダニエル氏と共同で、米国法人「The Paper Crane Foundation 」を設立、活動を米国内にも広げる。

Peace Project Peace Project Peace Project Peace Project
真珠湾国立記念公園とPeace Project を展開中。

『寄付のお願い』

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寄付

『講演会のご依頼』

佐々木雅弘、祐滋共に学校や平和イベント等で講演会を全国で行なっております。
内容や講演料に関してはメールにてお問い合わせ下さい。

(問い合わせ先)
一般社団法人 禎子の折り鶴
佐々木 住幸
gia.sadako.orizuru@gmail.com

『団体所在地』

〒164-0011 東京都中野区中央4-58-7
スターロワイヤル中野JP402号室

『お問い合わせ』

佐々木 祐滋
sadakolegacy@gmail.com
090-3078-8477