
特定非営利活動法人
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1943(昭和18)年1月7日生まれ。2歳の時に広島に投下された原爆により被爆、 その後しばらくは元気に成長を遂げるも、被爆から10年後の12歳の時に突然白血病を発病。
その闘病生活中に、千羽鶴がお見舞いに贈られたことをきっかけに、 「鶴を千羽折れば願いが叶う」という言い伝えを知り、 「生きたい」という願いを込めて折り鶴を折り続けました。
結局8カ月の闘病生活の末、約1600羽の折り鶴を折りましたが願いは届かず、 家族が見守る中12年という短い生涯を終えました。
禎子の死を悲しんだ同級生たちが「禎子さんを始め、原爆で死んだ子の霊を慰める石碑を創ろう」と、その設置に関する募金活動が始まった。
1955年11月12日に全日本中学校長会場で、『禎子の同級生8人によるビラ配り』が行われ、 全国の中学校からも寄付金が寄せられるようになる。 やがて広島市内の小・中・高校へも活動の参加を呼びかけ、『広島平和をきづく児童・生徒の会』が組織された。
翌年(1956年)には、街中での募金活動が繰り返し行われ、年末までになんと540万円もの寄付金を集めた。 後に募金活動のメディアを通じて波紋が広がり、全国から3000校以上の学校が参加をするに至り、 海外からも寄付が寄せられ、1958年5月5日に設立された。
こういった経緯から、禎子の名は『原爆の子の像』を通じて国内のみならず海外にも広く知られるようになる。
禎子の2歳上の兄 佐々木 雅弘
特定非営利活動法人 SADAKO LEGACY 理事長である雅弘は、4歳の時に禎子と同じ自宅にて被爆。
原爆の惨劇を知る最後の世代として、各地で講演を行っている。
「禎子の千羽鶴」の著者。
雅弘の長男 佐々木 住幸
特定非営利活動法人 SADAKO LEGACY 事務局長。
禎子の甥として雅弘の講演サポート。
雅弘の二男 佐々木 祐滋
特定非営利活動法人 SADAKO LEGACY 副理事長。
ミュージシャンで楽曲「INORI」の作者。
歌を通じて禎子を語る講演などを行っている。
原爆投下命令を下した、ハリー•S•トルーマン元米国大統領の孫、クリフトン•トルーマン•ダニエル氏と共同で、米国法人「The Paper Crane Foundation 」を設立、活動を米国内にも広げる。
当団体は非営利活動法人として、皆様からのご寄付によって運営されております。
是非、私共の活動にご賛同頂きご寄付をお願いできれば幸いです。
佐々木雅弘、祐滋共に学校や平和イベント等で講演会を全国で行なっております。
内容や講演料に関してはメールにてお問い合わせ下さい。
(問い合わせ先)
一般社団法人 禎子の折り鶴
佐々木 住幸
gia.sadako.orizuru@gmail.com
〒164-0011 東京都中野区中央4-58-7
スターロワイヤル中野JP402号室